GAIさんのトライバルブログ

無駄なことを無断に追い求める無駄。

トライバルデザイナーGAIのブログ
無駄無駄無駄。

トライバルアートと現代ファッションとの親和性

どうも、細密トライバルアーティストのGAIです。
今日はトライバルアートと現代ファッションとの親和性について、僕の視点から語ってみたいと思います。

トライバル

トライバルアートと聞くと、原始的、伝統的なイメージが浮かぶかもしれません。
それはそのまま現代ファッションとして使うにはどうしても古めかしい感じに捉えるかもしれませんが、
そこには意外なほどの親和性が存在しています。

トライバルアートはその根本に、自然や生命の神秘性、社会の一体感といったものを表現しています。
それは、パターンや形状、色彩といった視覚的な要素を通して表現され、その独特な雰囲気を醸し出しています。

一方で、現代ファッションは、個々の自己表現や社会的なメッセージ、そして美的な追求を表現する場となっています。
それは、素材や形状、色彩といった視覚的な要素を通して表現され、その独特な雰囲気を醸し出しています。

つまり、トライバルアートと現代ファッションは、その表現の形態や目的、視覚的な要素において、共通点を持っているのです。

そして、それは、トライバルアートが現代ファッションに取り入れられる際の魅力の一部となっています。
トライバルアートのパターンや色彩は、現代ファッションにおいて新鮮さや独自性をもたらし、その結果、個々の自己表現や社会的なメッセージを強調することができます。

だからこそ、トライバルアートを取り入れたファッションアイテムやブランドは、個性的で印象的なスタイルを生み出すことができるのです。
それは、ファッションを通じて、自分自身や社会に対するメッセージを表現する手段となります。

トライバルアートと現代ファッション、見た目は異なるかもしれませんが、その根底には同じような思考や価値観が存在しています。
だからこそ、それらは親和性を持っていますし、それが現代ファッションにおけるトライバルアートの存在価値とも言えるでしょう。

これからもトライバルアートが現代ファッションと融合し、新たなスタイルを生み出してくれることを期待しています。
みなさんも、トライバルアートが持つ魅力と、それが現代ファッションに与える影響について考えてみてはいかがでしょうか。

トライバルの鶏を描いたSytraブランドのバンダナは深い緋色のデザイン。
ファッションに一部に取り入れれば、注目を浴びること間違いありません。

sytra.gaibako.com

トライバルデザインについての話

どうも、細密トライバルアーティストのGAIです。
今日は、トライバル文様について一緒に学んでいきましょう。

トライバルデザインって言葉、聞いたことありますか?
きっと何かで見たことがあると思います。とてもカッコいいデザインで、最近はアートやファッション、インテリアなんかにもよく使われています。
ちなみにこんなんです。

画像
トライバルカラス

これはGAIさんが描いたトライバルなカラスです。かっこいいですね(自画自賛

でも、一体どこから来たものなんでしょうか、トライバルデザイン。

その起源は古代の民族、トライブ(部族)から来ています。その文化や生活を象徴する独自のデザインを「トライバルデザイン」と呼んでいます。
初めてトライバルデザインが描かれたのは、おそらく石器時代の洞窟壁画かもしれません。
原始の人々が、日々の生活や神々への敬意を表すために描いた複雑な幾何学的パターン、それが今日のトライバルデザインの原型と言えるでしょう。

そして、歴史が進んでいきます。
古代エジプトギリシャ、ローマ。それぞれの文化は、独自の美的感覚と共に、トライバルデザインを形成しました。
そして、それらは戦士の防具や建築物、陶器などに描かれ、その文化の象徴となっていきました。

では、AIがそのすべての歴史を理解し、トライバルデザインを生成することは可能なのでしょうか?確かに、AIは数々の画像を学習することで、それらしいデザインを描くことはできます。でも、その背後にある意味や歴史を理解しているわけではないですね。
そんなことできるAIができたらいいなあと思う次第です。

例えば、マオリ族のタトゥーには、その人の家族や地位、勇敢さを表す特定のシンボルが使用されます。それらは一つ一つが重要な意味を持ち、それらを理解することなくただ形だけを真似ることは、その文化を尊重することとは言えません。

しかし、ただ単にかっこいいからと言って、伝統的なトライバルデザインを描くのはなかなか大変です。
各部族の意味や歴史を理解する必要があるからです。でもそこがまた面白いところ。
そして、民族を意識せずとも、自分なりの描き方を編み出してしまえば、それは自分の民族ともいえるわけです。

GAIさんが描いているトライバルもまさに自分の民族ともいえるデザインです。唯一無二。それがGAIさんのtirbal Artなのです。

画像
GAIトライバル

それでは、これからもトライバルデザインの世界を一緒に探っていきましょう。皆さんがトライバルデザインを描く時の参考になれば幸いです。

さて、そんなGAIさんのブランド「Sytra」はご存じでしょうか。
トライバルで描いたニワトリ「深緋の鶏」がデザインされたバンダナや、各デザインのTシャツなどあります。
あとたまにフェレット

是非一度見てみてください。

トライバルバンダナ

それではまた。

絵描きとAIはどう棲み分けしていくのか

どうも、細密トライバルアーティストのGAIです。
AI、すごいですよね。
ここしばらくはAIの進化が止まらなく、「AI絵師」なんて言葉も登場しちゃって。
絵描きは仕事がなくなるね、なんてそんなことも言われたりしてます。
実際、どこかの国ではAI生成に任せて、イラストレーターを解雇したみたいな話も聞きます。
イラストレーターにとっては今までの努力をどうしてくれよう!なんて気持ちになってる人も多いんじゃないでしょうか。

僕は細密トライバルアーティストとしてやっているので、ああ、細密画とかトライバルとか、超かっこいいのを出力してくれたりするのかな、トライバルAIとか出るのかな、細密画AIでるかなあ、と思ってましたが、特に出ない。
というか、そもそもの問題として、細密画もトライバルもAIで出力させたい人が少ないからデータも少ないのでは?と思いまして、僕に関しては結局需要の少なさと供給の少なさがあるからかなと。

世の中の大多数のイラストレーターの方は、そりゃ自分と同じ絵柄と構図の絵がいきなり「AI絵師」のタグと共に出てきたら、びっくりしますよね。
しかもその絵とか他の絵とかを販売して稼いじゃったりしてるわけです。

うーん、確かに理不尽。

法整備されてない、という大きな原因もありますが、まあでも結局、需要と供給なわけだと思います。


どういうことかというと、基本的に、イラストレーターにイラストをお願いすると、いいお値段します。

当然ですよね。
だって、何時間、何十時間もかけて全力を注いで1枚の絵を完成させるわけですし。

数万、数十万かかるのは当然です。
むしろ、お仕事なんですから数千円というのがおかしい話です。

ところが、MidJourneyとかStable Diffusionが登場して、ある程度誰にでもAIで絵を生成することができるようになってしまった。
もちろん、不正に入手したイラスト群をベースに使用しているのはダメだと僕も思います。

ただ、AIで絵を生成することの魅力とサービスの一環というところが、その不法さ、自己責任さという部分を曖昧にしてしまっていると思います。
赤信号、みんなで渡れば怖くない的な感じです。

結局、よくわからんけどみんな使ってるし、手軽にめっちゃカッコイイ可愛い絵が出てくるし、最高やんけ!って感じになってるわけです。

まあ、一部絵を生成する文章(スクリプトと言います)にめちゃめちゃ拘って作ってるんだよという方もいますが、努力量を比較する意味は全くありません。それで言えば絵を描く努力の方が勝ってしまいます。自爆です。

もちろん、正しい使い方をすれば便利です。
きちんと版権的に問題のないデータを使ったり、自分の絵だけをベースにしたり、ポーズ参考として使ったり、存在しないものを生成して楽しんだり。

それはそれは魅力的で楽しく、便利です。

問題なのはその使われ方。
身も蓋もないことを言うのであれば、「治安が悪い」と言うことになります。

どの業界であってもそういうことは往々にして起こります。
AI業界にとって今がそのタイミングではあります。

イラスト投稿サービスはAIの絵を全面的や部分的に禁止にし始めてます。
まあ、サイトの趣旨と違うものが横行していたらそうなるなとは僕も思います。

話が逸れてますが、まあそんな状況において。

イラストレーターとAI」はどのようにして共存していくべきなのか。

どちらかを排斥する、と言うのは間違っていると思います。
イラストレーターは必要ですし、AIも必要です。

その立ち位置。

僕は、「イラストレーター」と「AI」は共存し、「アーティスト」が明確に別れるのかなと思います。

イラストレーターとアーティストは、僕の中では「職業」と「表現者」と言う認識です。

職業としてイラストレーターをやっている人は、もちろん不法なことはいけませんが、利用する上ではAIをどんどん使っていった方がいいと思うんです。

イラストレーターとしてやってきた以上、その技術はすごいので、AIで生成されたものをより魅力的にできます。
AIは良くも悪くも、たくさんのものを短時間で出すことができます。
イラストレーターは大量に生成されたものを選別し、より良いものへ昇華させる存在になっていくと思います。

そんなこと言っても、僕は絵を描きたいんだよ!
と考える方が多いでしょう。
僕もそうです。

絵を描く、と言う行動そのものが好きなので、AIが出ようが出まいが、描きたいと言う欲求は減るわけじゃありません。

つまり、これが「アーティスト」なんですね。
アーティストは表現をしたい。
自分が作ったものを世の中に出したい。
いろんな人に見てもらいたい。

アーティストの価値は、作品ももちろんですが、「人そのもの」にあると思います。
その人が作る作品が欲しい。
こんな素晴らしいものを作る人はどんな人だろう。

そう言う、ストーリーと共にいるのがアーティスト。

AIにストーリーはありません。
どんなに素晴らしいイラストを生成しても、絵画コンクールで優勝しても、写真コンテストで優勝しても、それは本質ではありません。
そもそも絵画コンクールにAIの絵を出すなと言うモラルの話です。
それだけAIが生成するものがすごいと言うことではありますが。

モラルの低い人に合わせていても疲れるだけですので、やめましょう。

「自分は表現者である」と言う認識を強く持てれば、あとは外部がなんだろうが関係ありません。
ただ、自分の表現したいものを表現する。

それで良いと思います。

結局は考え方なのかな、と。
どう足掻いても、AIが消えることはありませんし、どんどん伸びていきます。
そこに文句を言っても変わらないので、さっさと適応して自分の道をきちんと考えていった方が建設的です。

とはいえイラストレーターの仕事が減っているのも、盗作が横行しているのも事実です。
時代には対応し、ダメなものはきっと罰せられる時が来ます。

余計なことに思考を逸らして、貴重な創作の時間を使わないでものづくりに集中して一つでも多くの作品を世の中に残していきましょう。

さて、そんなGAIさんも新しいアパレルブランドを立ち上げています。
その名は「Sytra」
サイトラと読みます。
第一弾でトライバルで描いた鶏のバンダナを出しています。
AIではなく、GAIさんの手描きアート作品です。

しっかりと染めで作られているので発色が美しく、生地の手触りもチェックして作ったこだわりの一品です。
バンダナの使い方はたくさんあるので、おしゃれなものとして1枚持っておくと良いと思います。なんならそのまま壁に飾ってもいいですね。

Sytraの話はまた別でしようと思います。

それではまた。

アイデアメモ「四角を育成するゲーム」

タイトル「シカクソダテ」

シンプルなGUI
たまごっちのような。

小さい四角に対して餌(数式)を与えて育てる。
餌の種類は数字とか公式などで変化の度合い、方向性が変わる。

決まった数式テンプレ餌もあるし、オリジナル数式をつくって与えることもできる。

ある程度餌を与えると進化する。
与えた数式によって体が変化(数式を実際に使うことによってランダムな変化がおこる)
変化した四角は図鑑にそのまま登録される。
ランダム変化なので図鑑の種類は無限に増える。
登録する時に名前を自分でつけることができる。
図鑑に記載される内容は「与えた餌」と「変化時期」と「姿」
図鑑はネットワーク連携され、他の人が作った四角も見れる。
ある程度ランダムな期間が経過すると四角は崩壊し、あたらしい四角が誕生する。
あたらしい四角は以前の四角の特徴を多少反映している。(反映していない四角を育てることも可能)

四角を育てる部屋は3つある。

四角は部屋の中を動き回り、なんかプニプニしたりする。


●探索モード
四角は探索することで新しい餌(数式)を発見することができる。
オリジナルで餌を作る時は、探索モードで素材を集めなければならない。

探索では育てている四角を操作して敵を倒す操作モードと
一定時間放置で拾ってくる放置モードがある。
放置モードでしか手に入らない素材もあったりする。

●他機能
たまに他の四角が遊びにくる。
遊びにきた四角はおみやげで素材をもってきてくれたりする。




オシャレなトライバルニワトリ描きました。

どうも、トライバルデザイナーのGAIです。

ニワトリが好きすぎていろいろと考えていた結果
「やばい、超オシャレなニワトリ描きたい。具体的にはピンヒールブーツ履いたニワトリが描きたい」
となり、描き始めたのがきっかけです。

ニワトリはもういるだけでかっこいいしかわいいのですが、
やはりおしゃれしたいですよね。

ブーツ履くだけでもよかったんですが、羽を柄にしてみたり、しっぽをなんかこう、トライバルっぽいもちゃもちゃしたものに変えてみたりしました。

顔はキリっと。

うーん、かっこいい。
このままCDのジャケットとかにしたい。

次はどんなニワトリを描こうかな。

劇場版「メイドインアビス」-深き魂の黎明- を観た感想

悲しみと絶望に胸が苦しくなったにも関わらず、
どこにも悪意が存在しない事実に
なんともいえない気持ち悪さがあった。


まる。




総じて、ボンドルドさんまじボンドルド。





漫画も読んでいたし、展開はわかっていたのだが。
ここまで胸が締め付けられるものなのか、という驚愕。
何?ボンドルドさんクソ鬼畜。

あ、どうも、トライバルデザイナーのGAIです。(今更)
安定のナナチかわいいから始まります。
マルルクの日常もとってもよかったです。
マルルクちゃんまじてんし。
いや、男の子ですけど()


アビスの中はもちろん危険と隣り合わせなので、しょっぱなから命の危機に陥ったりしていましたが、なんというか、「冒険の魅力」みたいな雰囲気がありました。
リコとレグとナナチは、この3人でアビスの中を探窟するのが心底楽しいのだな、という感覚すら見て取れました。

祈手(アンブラハンズ)が現れるまでは。

どうでもいいですが、このルビ、超かっこいいですよね。
ボンドルドの武装もかっこよすぎる。
中二病か!ってくらいかっこいい。もはやずるい。

枢機へ還す光(スパラグモス)
明星へ登る(ギャングウェイ)
月に触れる(ファーカレス)
とかもうね。
言葉だけで強い。

しかしカートリッジ。お前はダメだ()頼むから・・・救いはどこにあるのか・・・・


プルシュカはとってもかわいい。
メイニャも超かわいい。飼いたい。
ただ、その生涯を知ると、もう途端に辛い。
とにかく辛い。

ボンドルドさんがオーゼンに「筋金入りのろくでなし」って言われるのもわかる。

わかるのだが・・・・

そしてボンドルドさんの行動原理はすべてにおいて「未来」のみという圧倒的な倫理観。
そのせいで「未来」のためならたとえ何であろうとも犠牲にできる。
もちろん自分でさえも。

なんだろう、腐れ外道だしどうしようもないほどクズだし命をなんとも思っていない節もあるのだけど、「悪人」ではないというのがなんともいえない魅力。

現代風に言うと「サイコパス」なのだろうか。
自分の価値観がすべて。それ以外は関係ないといわんばかり。

まあ、本人ですら精神隷属機で複製されちゃって、本質のみが動いてるだけなので、
もし生きていたらもうちょっとマシだったのかもしれませんが()


とてもいい、すばらしいですよ、ナナチ。と言いたくなるくらいのガツン!とくる映画でした、

愛が好きな人は是非見てみてくださいね。愛、愛ですよナナチ。

廃墟の町

ーーーああ、いつだって、君はそこにいたのに。
僕はいつも、何の考えも無しに失ってばかりだ。
だから、僕はまた廃墟と共にいるのに。

鬱蒼と茂った森の奥。
道なき道をかき分けて二時間ほど歩くと、唐突に町が現れる。

ーーーいや、町だった場所と言った方が正確か。
ほんの五百年ほど前までこの場所は「町」だった。
今となっては見る影もない。
本当に町だったのかどうかすら、今となっては嘘だったのではとも思えてくる。

噴水の跡を眺め、複雑にからみついた蔦をなんとなしに引っ張りながら、今にも壊れそうなベンチに腰掛ける。
腰掛けた瞬間、ギシ、と嫌な音を出したが、五百年前と同様に僕の体重を支えてくれた。
ベンチとしての役割はまだ忘れていないようだ。

大きく深呼吸する。
このあたりはまだ空気が綺麗な方だ。
森の外は冗談でもいい空気なんて言えない。
この森もいつまで無事でいられるものやら。
まあもってーーーあと千年くらいか。


ああ本当に嫌になる。
時間が流れるのが遅い。
不死になんてなるものじゃないなと、八千年ばかり生きてようやく思う。
死に方がわからないなんて、とんだ欠陥品。
不老不死にあこがれて、なってみたはいいものの、このどうしようもない虚無感は如何ともしがたい。
世界のどこかにはもう一人くらいいるのだろうか。
もしいないのであれば、僕は一生一人きりなのだろうか。

いや、死なないのだから「一生」という表現はおかしい気もする。
そんなくだらないことでクスリと一人笑う。

こんなくだらないことすら、言ってくれる人間はもういないのだ。
もしかしたら、世界のどこかには。

そんな期待をしつつ、いたとしてもまともな人間じゃあるまい、と達観する。

本当に、不死になんてなるものじゃないな。


五百年ぶりに人を載せたベンチに別れを告げ、町の中心へと足を進める。
もともとは石造りの家が立ち並び、果物を押し付けてくる商売人や昼間っから飲んだくれてる酔っ払いがいたものだが、当然今となっては人っ子一人いない。
かろうじて、『そこに何かあった』形跡が見て取れるのみだ。
風化が激しく、さらに問答無用で植物がすべての建造物を飲み込み、破壊しつくしてしまった。
森に比べたら開けているし高い木が生えているわけでもないが、単純にひどく寂しい気持ちになる。

植物の茎を折りながら、石畳の上をゆっくりと踏みしめて歩く。
風はなく、キン、と耳の奥に響いてくるほどの静寂。
その静けさを自分の足が奏でる足音が破壊していく。


しばらく歩くと、ある場所だけ綺麗に整えられた空間が見えてくる。
蔦もなく、他の場所とは比べ物にならないほどに清掃されたその場所。


僕は、ただいま、と一言つぶやく。


一年前に言ったように。
二年前に言ったように。
五百年前に言ったように。


ざざ、と少しだけ風が吹き、木がざわめく。
一年ぶりの訪問を歓迎してくれているのか。
それとも、一年も放っていくなんて、と罵倒されているのだろうか。

僕が愛したあの人が眠る場所で。
時間は、残酷だ。

僕にとってこんなにもゆっくりなのに、
周りはあっという間に変わっていってしまう。

ほんの、ほんの少しの間のつもりだったのに。

僕も同じ時間の流れを生きてきたはずなのに。


まるで、一度見た町が、次に見る時には廃墟になってしまうのが当然だとも思えてくる。


今までいくつの町を訪れただろう。

いくつの町が廃墟になっただろう。

何人の人を愛しただろう。

何人の墓を建てただろう。


いつまでもいつまでもこの後悔は続く。

町は朽ちても愛は朽ちず。
そんな洒落た言葉も、今となっては古めかしい。


ざざ、とまた木々がざわめく。
もう帰れ、ということなのだろうか。
僕に帰る場所など無いというのに、残酷な彼女だ。

僕は次の町に行くことにする。
廃墟になってしまった次の町へ。

未だ朽ちていない、愛を辿るために。



『不死者ザメルの独白』

滅びた文明の古代都市遺跡を描きました。

細密画ペン画都市

滅びた文明の古代都市遺跡を描きました。

 

どうも、トライバルデザイナー兼細密画家のGAIです。

古代都市っていいですよね。

なんというか、中二病感がありますよね。

 

というわけで細密画・ペン画で古代都市を描きました。

サイズはA4で、かかった時間は忘れました()

 

いつも訊かれるのだけど、かかった時間ってみんな覚えてるの・・・?

なんとなく描き始めて、いつのまにか終わってるから時間とか見てないよ!!

でもたぶん20時間~30時間くらい。(幅10時間)

 

こういう古代都市の魅力って、やっぱり荘厳な感じとボロボロな感じが同居してるところだよね。

木とか巻き付いちゃって、いかにも崩れそうだけど、そこがまた見惚れるポイント。

ここに住んでた人の生活とか想像しちゃうし、なんなら魔法とか絶対使ってたよね。

偉大なる教祖様とかいたし、それに反発するクーデター組織とか絶対あった。

魔法が使える人間が一番偉いのだ!いやいや、人間はみな人間で上下などない!みたいな。

 

しかしそんないざこざなんて知ったこっちゃないとばかりに自然災害で壊滅。

ああ無常。

 

 

そんなストーリーなんかも想像しちゃうね。

 

GAIの世界観をもっと広げていきたい。

 

 

細密画とは

どうも、トライバルデザイナーのGAIです。

わりかし細密画を描くことも多いのですが、そもそも細密画を描くとはどういうことなのか。
細密画は読んで字のごとく「細かい絵」です。

主に細いペンで描くため、広い面積を塗るというよりも、描き続けて埋める、という感じになる。
ごまかしがきかない。

ジャンルとして「細かい」という説明しかないため、逆に言えば細かくなければ細密画ではない。

広い面積を塗ったり、ごまかすようにエッチングをしまくっても良くない。
ある意味狂気の沙汰だ。

短時間で描くことは画法として非常に難しい。
センスが介入するのは当然だが、完成までの道のりが物理的に長い。

単純に色を重ねて表現するだけならば短時間でできるのかもしれない。
別にそれが簡単だというわけでなく、細密画は「描く部分」が非常に多い。

ゆえに、描き終わるのに数十時間かかったとしても駄作として終わるなんてこともよくある話だ。

細密画、ペン画で有名な絵描きがあまりいないのもそのへんに理由があるのかもしれない。

とにかく描くのが大変なのだ。


だが、いいところもある。
初心者に優しい。


・・・


細密画はとにかく細かく描けばそれっぽくなる絵だ、

つまり、「誰でもそれっぽく描けるジャンル」でもある。
ただまあ、だからこそ目の肥えた人が見るとその雑さが目立つ。

大変だからいい絵というわけでは決してない。

だからこそ、練習は狂気そのものだ。


時間だけがとにかく過ぎていく。
いくら描いても成長しない。
成長している気分にすらならない。ただただ大変でつらい。


だが、それを乗り越えることができれば、あとは描き続けるのみだ。

トライバルとは何か。-What is Tribal?-

f:id:kamibukuro18:20180314145810j:plain

トライバルニワトリ

 

どうも、トライバルデザイナーのGAIです。


ここでトライバルとは何か、というのをざっくりとお話します。

 

トライバルとは、ひらたく言えば「部族、民族」という意味です。

別にデザインに限った話ではなく、トライバルミュージックと言えば民族音楽、トライバルダンスなら民族舞踊、トライバル筋トレなら民族筋トレです。

なんだ民族筋トレって。

 

僕が描いているのはもちろんトライバルデザインですから、民族模様です。

この民族模様が使われる場所は洋服だったりアクセサリーだったりしますが、やはり最もメジャーなのはタトゥーです。

タトゥーを入れている人からすれば、トライバルというジャンルはとてもメジャーだと思います。  

もともとトライバルというのは数千年以上昔の古代の時代から伝わる伝統的な部族模様です。
一般的には東南アジア、ポリネシア、南米先住民、マオリサモアラオス、台湾、様々な部族で伝わる模様のことですが、意味合い的には日本の琉球アイヌも含まれます。
特定の意味を示す言葉というよりも、かなり広義的な意味を持つ単語として「トライバル」が使われてます。  

 

これだけたくさんの部族模様を一括して単語にしているわけですから、もちろんその模様も多岐に渡ります。
大体は「サモアトライバル」とか「ポリネシアトライバル」とか「アステカトライバル」など、部族を一緒に組み合わせて呼びます。
部族によってデザインは流線的であったり、カラフルであったり、シンプルであったり複雑であったり。
モチーフにしても、太陽や月、龍、狼、ハート、蛇、鳳凰に虎に花なんかも、とにかく多岐に渡ります。
とにかく「トライバルとはこういうもの」というはっきりとした説明はもはや不可能です。
なので、ざっくりとこういうものが多いという説明になります。  

 

しかし、世の中は不思議なもので、伝統的な模様をベースに、オリジナルで新しいトライバルを生み出す人もいます。
ニューエイジってやつで、これはどこの部族とも違う「現代のトライバル」です。
そして、僕の描くトライバルもこれにあたります。
言うなれば「GAIトライバル」
GAI部族の模様です。    

 

ようするに、トライバルというものは、あくまで概念的なものであって、具体的にこれがトライバルというものは無いのです。
トライバルデザイナーによってこだわりも、構造も、込める意味も違います。  

 

モチーフとしてもよく使われるものは定番として存在はします。
部族として信仰している生き物は当然として、タトゥーとしては星座や神話の神様。
錬金術になぞらえてウロボロスなんかも。
花や空想上の生き物もモチーフとしてはかなりメジャーです。
それらは一般的なものなのでトライバルの資料なんかを購入したり、ネットで検索すれば結構な量が出てきますが、逆にオリジナリティあふれるモチーフで描くことも可能です。

何度も言うように、トライバルというのは単なる概念、種類でしかありません
物体を模様として認識すればどんなものでもトライバルデザインとして作り上げることが可能というわけです。
これが長らくトライバルが愛されている理由でもあります。    

 

では、僕はなぜトライバルデザイナーになろうと思ったのか。
それは、単純にカッコいいと感じたからです。
物事を始める理由なんてそんなもんで良いと思います。
何か新しいジャンルを開拓したいと思いながら探していたら偶然見つけたのがトライバル。
世の中にはこんなにカッコいいものがあるのか、と感動したのを覚えています。
その日のうちに100円ショップで筆ペンを買ってきて、コピー用紙にたくさん描きまくりました。  

 

めちゃめちゃへたくそでしたが、それも立派なトライバルです。
なんと言ったって、「GAI部族」はそこから始まったのですから。  

 

トライバルの歴史というのは非常に長いです。
すでに失われた伝統模様も、数多いのだと思います。
しかし、その歴史や文化を紐解いていくのはとっても楽しいです。
図案一つにしてもものすごい深い意味があったり、逆になんの意味も無かったりします。
部族によっては、トライバルタトゥーは族長を表すものであったり、戦闘における戦士の証だったり、はたまたより複雑な模様のタトゥーが入っている女性が最も魅力的であったり。
全身だったり顔だけだったり。
それだけ重要で、大事なものだったのです。  

 

今はトライバルに限らずですが、タトゥーというものは、「なんだかイケナイ事」という印象がありますが、実のところ、王族がしていたり、とても崇高なものという価値観もありました。
日本でも入れ墨という文化がありますが、飛脚の裸体を隠すために服の代わりに入れ墨をしていた、という話もあります。  

 

タトゥーがイケナイ事、という文化は、奴隷に対して刻印を入れていたという一部の文化が流れ込んだからだと言われてもいます。
いやはや、現代はもっと自由に生きて行けるものであって欲しいですが、固定観念というのはそうそう変わるものでは無いですね。  

 

ちょっと話がそれましたが、トライバルというのはとっても伝統的で、生活の一部で、いろいろな意味を持っていて、オシャレでカッコいいものです。
是非、「Myトライバル」を作ってみてください。
そしたらGAIさんにも見せてくださいね。(巧かったら嫉妬で気が狂うかもしれません。)

 

 

トライバルデザイナー GAI